「これはゴミじゃない!」。それが父の口癖でした。実家は父が溜め込んだ物で溢れるゴミ屋敷でした。母が亡くなって以来父は何かに取り憑かれたように物を集め決して捨てようとはしませんでした。私はそんな父に何度も「断捨離」を勧めました。片付け本を渡しミニマリストの生活がいかに素晴らしいかを説きました。しかし父は「お前にはこの物の心が分からん」と聞く耳を持ちませんでした。私たちの会話はいつも物の価値観を巡る不毛な口論に終わりました。そんなある日私が父の部屋の隅にあった古い釣竿を勝手に捨てようとした時でした。父は見たこともないような悲しい顔で私を止めました。「それは…お母さんと初めて釣りに行った時の竿なんだ」。私はハッとしました。私にとってそれはホコリを被ったただの古い釣竿でした。しかし父にとってはそれは亡き妻とのかけがえのない思い出が詰まった宝物だったのです。私は父の物を「ゴミ」という自分の価値観だけで一方的に断罪していたのです。父が溜め込んでいたのは物ではなく母を失った埋めようのない「寂しさ」だったのかもしれない。そのことに気づいた私は父に謝りました。そして断捨離という言葉を使うのをやめました。代わりに私は父にこう提案しました。「お父さんの宝物探しを手伝わせてくれない?」。その日から私たちの片付けは一変しました。「捨てる」作業ではなく「残す」物を選び抜く作業になったのです。父は一つ一つの物についてその思い出を楽しそうに私に語ってくれました。それは私が知らなかった父と母の若き日の物語でした。時間はかかりましたが実家は本当に大切な思い出の品だけが丁寧に飾られた温かい空間に生まれ変わりました。断捨離という言葉は時には人を分断します。しかし相手の心に寄り添いその物の背景にある物語に耳を傾ける時、片付けは家族の絆を再び結び直すための、かけがえのない時間となるのです。