「お母さんこの古い雑誌もう捨ててもいい?」。私がそう尋ねると母は少し慌てたように「ああそれはまだ後で読むからそこに置いといて」と答えました。それが全ての始まりだったように今思います。一人暮らしの母の家にゴミ屋敷の静かでしかし確実な前兆が現れ始めたのは、父が亡くなってから一年ほど経った頃でした。最初は些細な変化でした。テーブルの上に郵便物や新聞が常に積まれているようになったこと。キッチンには洗われずに置かれた食器が少しずつ増えていったこと。私が帰省して片付けようとすると母は「いいのいいの自分でやるから」とどこか遠慮がちにしかし頑なに私の助けを拒みました。当時の私はそれを父を亡くした寂しさからくる一時的な気力の低下だろうと軽く考えていました。「まあ一人暮らしだし多少散らかっていても仕方ないか」。そう自分に言い聞かせ問題を直視することから逃げていたのです。しかしその「多少」は帰省のたびに確実にその範囲を広げていきました。床の隅にゴミ袋が置かれるようになりやがては一つの部屋が完全に物で埋まり「開かずの間」となりました。母はその部屋について決して語ろうとはしませんでした。私は怖かったのです。そのドアを開けて母の心の奥底にある深い孤独や悲しみと向き合うのが。私は母を傷つけたくないという言い訳のもとにただ見て見ぬふりを続けました。決定的な出来事が起きたのは母が家で転倒し骨折した時でした。救急隊員が家の中に入るのにゴミが邪魔で難航したと聞かされた時、私は自分の愚かさと後悔で頭が真っ白になりました。母が発していた数々の小さなSOSサインを私はずっと見過ごしてきたのです。もっと早く母の心に寄り添い専門家の助けを借りるべきだった。ゴミ屋敷の前兆は病気のサインであると同時に家族の関わり方が試される警鐘でもあるのだと、私はあまりにも大きな代償を払って学ぶことになったのです。
家族に現れたゴミ屋敷の前兆と私の後悔