久しぶりに帰省した実家で、かつては几帳面だった母親が散らかった部屋で平然と過ごしている姿を目にした時、多くの子供たちは戸惑いと怒りに近い感情を抱きます。あんなに綺麗好きだった人がなぜ、という問いが頭を離れません。しかし、その背後には認知症という抗えない変化が潜んでいることが多いのです。台所には賞味期限の切れた食品が並び、テーブルの上には未開封のダイレクトメールが山積みになっている光景は、認知症の初期症状として非常に典型的なものです。これは単に歳をとって体力が落ちたからという理由だけではありません。認知症において、最も周囲を困惑させる症状の一つが、活動性の低下です。なぜ部屋がこんなに汚いのに平気でいられるのかという疑問の答えは、本人の「気づく力」と「変えようとする意欲」の喪失にあります。脳の前頭葉機能が低下すると、不快な状況を改善しようとするエネルギーが湧かなくなります。健常であれば、足元にゴミが落ちていれば不快に思い、拾い上げます。認知症が進行すると、情報の取捨選択が困難になります。必要な書類と不要なチラシを分けるという、以前なら無意識にできていた判断が、脳にとって過大な負担となってしまうのです。また、臭覚の衰えも部屋が汚れる原因となります。食べ物が腐敗した臭いや、ゴミの臭いに気づかなくなることで、不衛生な環境に対する不快感が薄れてしまいます。本人は決して汚い部屋で過ごしたいわけではなく、何が異常であるかを感じ取るセンサーが麻痺してしまっているのです。家族が無理に片付けようとすると、本人が激しく抵抗することがありますが、これは自分の支配領域を侵される恐怖や、物がなくなることへの強い不安から生じる反応です。認知症の方にとって、物の配置が変わることは、自分の世界が崩壊するような感覚に近いと言われています。ですから、なぜ片付けられないのかを責めるのではなく、脳の機能として整理整頓が困難になっている現実を受け入れる必要があります。部屋の乱れは、本人の心の乱れや脳の疲弊を映し出す鏡のようなものです。ゴミが溜まっているという現象だけを見るのではなく、その奥にある判断力の低下や、孤独感、そして助けを求められない苦しみに目を向けることが、適切なサポートへの第一歩となります。